投稿者「yarhalla」のアーカイブ

情報量感

人を面白がらせる手段として、一度に処理出来ない情報量を与える、という手法があると思う。プアな入力に対してリッチな出力を返す、というのは、つまり情報量感を出力に盛るということだ。

一度に人間が認知できる要素数は7個まで、みたいなことが言われているが、視覚的にグルーピングさせてしまうともう少し増える。なので情報量感を出すには:

  • 要素を散乱させる
  • 大小をばらけさせる
  • 8つ以上の要素を画面に置く(まとまりは1つとカウントする)

あとは何となくこうしたらいいんじゃないか、というレベルの雑感。

  • 散漫な印象を出さない為に、形状や色調で統一感を出す
  • メリハリを付ける。場面転換があるのであれば、最初は点の演出をして、まず状況の理解をさせてから、加速度的に情報を増していく。

複数回の閲覧に耐えうるように作る、という意味でも、動画や音楽に情報量のメリハリを付けるのは大事。初回閲覧時と、複数回閲覧時においても楽しめるように、複雑性の高い箇所と低い箇所を作っておく。メリハリを極端にすることで意外性を生むことも出来るのでは?

複雑性と調和感のバランスを取るには、全体と部分が相似関係になるようデザインすることだ(フラクタル)。

FlashDevelop4でFlashPlayer 11.2向け開発を行う

いろいろはまったのでメモ

まず、FlashPlayerのダウンロードサイトから、下記のものを取ってくる。

  • Download the Windows Flash Player 11.2 Projector content debugger

FlashPlayerDebugger.exeとリネームして、下記フォルダに入れておく。

C:\Program Files\FlashDevelop\Tools\flexlibs\runtimes\player\11.2\win

  • Download the playerglobal.swc to target the 11.2 APIs

下記フォルダに入れておく。

C:\Program Files\FlashDevelop\Tools\flexlibs\frameworks\libs\player\11.2

次に、プロジェクトの設定を開き、下記の設定を行う。

  • Output > Platform のFlashPlayerのバージョンを「11.2」に設定する。
  • Compiler OptionsのAdditional Compiler Optionを展開し、下記を追記する。

    -swf-version=15

あとは、AS3プロジェクトを新規作成し、下記コードを入れて確認。

Main.asのコンストラクタ

stage.addEventListener(MouseEvent.CONTEXT_MENU, onContextMenu );

Main.asのどこか

public function onContextMenu( e:MouseEvent ):void {}

コンパイルが通って、右クリックメニューが出ないようになっていれば、11.2対応のswfを作成出来ている。 あとは、11.2が入っていない環境でどのように見えるか検証が必要。単に素通りしてくれるんならいいんだけどね。

伸びるジャンルの要件

  • 技術的面白さがある
  • 既存の技術と連携が出来る
  • 参加が簡単(e.g., ハンドメイド文化)
  • 一見して価値が分からないが、名前のみが広く流布し、各メディアで言及されやすい
  • 批判者が一定以上いる(外に開かれていることの証左)
  • 自己表現、コミュニケーション、検索のような、人間の欲求に根ざしたジャンルである

やっぱりマネタイズは、ある程度の需要が出てきてから考えるべきことのような気がするな。

ツールから遊びが生まれる

文房具を使った「手遊び」があるように、道具を使う中で遊びが生まれてくるように感じる。

道具は、手の延長であり、ゲームは手遊びの延長である。

ツールのようなゲームを作りたいと考えている。

老朽化する構造物としてのコミュニティ

物理は心理を書き換える。仏壇みたいにそれ以外の使い道が思い浮かばない、それを改造して何かに役立てることも難しい物体に生活空間の一部を浸食された人は、「それがある暮らし」を、ある日一方的に押し付けられることになる。そこからの影響から自由になるのは困難で、結果はおそらく、ある程度予測が立てられる。仏壇や学校の制服、何かを象徴する巨大な建築物や、道路みたいなものもまた、人の心理を大きく動かす。 土木を始めとした物理環境の改変もまた、政治力そのものなのだと思う。どれだけ厳しい法律を作っても、その正統性を声高に叫んでも、それを作った人間に対する信頼がないのなら,言葉や文章は響かない。それが文章でなく土木であったのならば、どれだけ嫌いな、信頼できない人間が造った建築物であっても、それがそこにあれば、誰もがそれを前提にした振る舞いをせざるを得ない。ある状況を否が応でも押しつけるだけの効果が土木的な何かにはあって、失われた信頼は、言葉や文章、行動ではなく、土木的な何かを用いることで再構築ができるのだと思う。

物理的な物体について論じている文章だけれども、Web上の構造物に置き換えてアイデアを探る。

しばしば土木的にサイトが生まれ、その環境への好き嫌いを元にシーンが構築されていくように思われる。弾幕型しかり、VORCしかり。とにかく屋台骨がなければ、議論も始まらない。議論がコミュニティを良くしていくということをやまもとさんが書いていて、やはり場所を用意することが肝要と改めて思う。

問題は、法律であれば運用に費用は発生しないが、物質は老朽化するし、コミュニティは3年もすればコミュニティは新陳代謝が止まり、少なくとも先端の気概は失われてしまう。ある程度の継続努力が必要であるが、そもそも定期的に捨てていくようなモノですらあると思う。

コミュニティを総括し解体することも、新陳代謝を生み出す意味で一定の意義があるが、コミュニティ解体と同時にシーンが死んでしまう可能性も高い。コミュニティはむしろ、よりスマートなモノに取って代わられる必要がある。そもそも体力や、潜在的な発展性の低いコミュニティだとリプレースが出来ないので、そのまま死んでしまう。

手段としては、競合を自ら作り出すか、権威化してWikipediaにでも書いておき、シャットダウンする、というところだろうか。

欲求に対してサービスがぶらさがる

SNSとは井戸端会議である、と考えると、Facebookがいちいち個人情報の変更を周囲に通知して回るのも分かる気はする。いいね!は本質ではない。Facebookで活発にやりとりをしている友人を見ると、やはりコメント欄でMixiがごとく世間話をしているのだ。

メールが死ぬとか言われてきたが、未だに重宝されているのが現状だ。メールの欲求を満たすようなサービスは今のところ出てきていない。迅速な通知。好きなクライアントで見れること。長文。添付ファイル。何一つ代替案は生まれていない。TwitterのDMなんて酷いもので、画面上で通知もされない(メール通知はできるが、なら最初からメールを使えばいいだろう)し、何故か140文字に制限されている。個人的な連絡に使うのであるから、長文が書けて当然だろうと思う。

既存のサービスは、いかにレガシーに見えるものであっても、その根本には「大多数が持っている特定の欲求を満たすなにか」がある。それを満たすものが新たに現れない限り、移行は起こらないし、ひとりでに死ぬなんてことが起ころうはずもない。

インデックス

教育

演出論

ものづくり論

したいこと・したくないこと・すべきことについて

欲求について

ユーザーインターフェース

その他

欲求にフォーカスする

ゲームを作るときにゲームの勉強だけをしていると、そもそもどのような欲求にアプローチすべきなのかということを見逃しやすい。「リスクとリターン」みたいに単純化させすぎてしまうと、オモチャを作っているんだということを忘れてしまう。何かを作る上で、コンテンツを見ている人間の視線や行動をよく観察することが肝になる。

人の欲求や好奇心を引き出すものが、ゲーム以外にどんなものがあったかをよく知らないといけない。欲求には背景がある。ストーリーの先を見たいだとか、行動そのものに気持ちよさがあるとか、音楽と同期して手を動かすことが心地よいとか、いろんな攻め方があるものだ。「ゲームの名作」だけを遊んで、ゲームを作っている人に感じる違和感は、ゲームのメカニズムやネタ要素だけをコピーしていて、細かなサービスを忘れていることだ。

話がずれるが、中毒性を生み出すには、「リトライの敷居を限りなく下げる」ことが効果的で、これも「リスク&リターン」には含まれていない要素の一つだ。

「複数回の試行につき一回のリターンがある」ものが最もネズミが「はまりやすい」ゲームであると、心理学の授業で教わった。これはまさに賭け事のゲームデザインであって、スマホ向けのソーシャルゲームもそうだし、アンディーメンテのゲームなんかもそうだ。Wisplisp Heehawでは、ゲームのメニューを排し、ショットボタン一つでリトライ出来るようにスタート画面を変更した。

そもそも賭け事を行わない人間が居ることも、知っておくべきことの一つだ。自分がよく行っているのは、本屋に行って雑誌を立ち読みしている人が何を読んでいるのかのぞき見することだ。ゲームをしない人間が何に興味を持っているのか?言い換えれば、何に時間を消費しているのか?ゲーム要素などに興味を振り向けず、知的(?)欲求に時間を使っている人間も多くいるものだ。

ゲームメカニズムのコアは「リスクとリターン」でいいと思うが、多くのユーザに興味を持ってもらえるよう、題材を工夫したり、視覚要素を調整することは基本的なことだ。良く出来ているゲームが「名作」になりうるのは、それからの話だと思っている。

自分一人だけが使うツールを作らない

ツールとは、他人の作業を分かりやすく効率化するために作るのであって、自分だけが使うものであれば作るべきではないんじゃないかと考えている。

大抵の作業は、既存ツールの組み合わせでなんとかなる。つなぎあわせが悪い部分でも、バッチを組むことで結合することが出来る。そのバッチだって、OS組み込みのものだし、自作するより余程柔軟だ。

一連の作業工程をツールにまとめ上げるのは、一貫性を保ってクリーンに見せるのと、配備の手間を軽減させる意味がある。ただ、自分一人が使うツールがクリーンである必要がどこにあるのか。むしろシンプルであるよりも、複雑で柔軟なシステムを小さなソフトウェアの組み合わせで作る方が時間の節約になるだろう。

本来はツールを作るのが仕事のエンジニアだけれど、業務からそれて自分用のソフトを作るのが好きなので自戒としておく。

点+箱の演出

ライブしてきた。ライブする場所はラウンジだったため、スピーカーの音量が十分でないという予測を立てた(これは外れで、実際は低音は不足するものの十分な音量があった)。

音量不足対策として、以下のようなことを考え、実施した。

  • トラックとは別の「環境音」mp3を作成し、事前にTwitter, QRコード経由で配布した。
  • 観客のスマートフォンからmp3をダウンロードしてもらい、一斉に再生してもらった(自分でもいくつかポータブルmp3プレーヤを準備していった)。
  • 自然と再生タイミングがズレるため、立体音響のような効果が生まれる。

その他、演出として、ルミカライトを持っていき、配布した。

以前記事にも書いた「点と箱」の延長で、観客自身がスピーカーになり、観客自身が照明となる。そんなコンセプトのライブにまとまった。

ライブ中は、全然スピーカーの音聞こえないし、ルミカライトの演出効果がイマイチだったりして、あーこりゃ滑った、おわたと思ったのだが、見ていた人に聞くところだとそれなりに周囲の反応はよかったらしい。

静かなライブをすると、ステージに立っている方は相当心細い。ほとんどの客を持っていった藤子名人のライブを見ながら、うらやましく思ったのだった。観客が盛り上がるようなライブはいいよなぁ。せめてもっと没入感のあるライブと演出が出来たらな。