月別アーカイブ: 2011年7月

フレームワークはフレームワークか

フレームワークって、ツールを備えない時点では未完成なんじゃなかろうかということを考えていた。フレームワークの設定を書く部分は、コードから離れている分だけ、必然性がわかりにくくなっている。外だしするのはいいんだけど、フレームワークを作った人の頭の中のことまで分からなくてはいけないというのは、どうにもしんどすぎる。

ただ、ツールを備えているフレームワークって、それフレームワークより既にツールの方が主になっちゃってんじゃないのか。ツクールをフレームワークと見なす人は居ないわけで。あくまでフレームワークは枠組みに徹しているものなわけで、それ以上のものをフレームワークとは一般的には呼ばない気がする。

個人的にはフレームワーク部分はシンプルで、ツールで複雑な部分を助けてくれるようなパッケージが望ましいような気がしている。フレームワークから一押しすれば、ぐっとユーザを増やせるわけで、ユーザが増え。メンテナが増えれば洗練が望める。

すたどんたんがWebDesigningに載るらしい

ライターさんが記事にしてくれたらしい。これは嬉しい。実は、ある時期デザイン系の雑誌に載ることを目標にしていた(フリーゲームっていうジャンルで載りたい、だけど…)。今月号に載るらしいけどもう出ているんだろうか?

フリーゲームでMdNに載る!というオシャレ憧憬なんだか分からん感情を密かに抱えて、ついでに「デザイナーでもフリーゲームを作れる時代を」とか掲げてた気がする。こっちも実現したいな。やっぱり自分の出発点になってるのってフリーゲームと、フリーゲーム周辺の雑誌の流れだし。一応ゆめにっきや洞窟物語も達成出来てないことなんではないだろうか。

iOS上でのゲーム開発について検討

Homebrewをしたい理由として、以下の二つが考えられると思う。 (配布プラットフォームに載せたいとかを考えない、個人ユースの理由に限るとすると)

  • その機材のインターフェースを使いたい
  • ポータブルな環境に移したい

今となっては、前者の欲求はPCで満たされる時代に来ているのだと思う。後者に関しては、駆動時間、価格、即時性ともに、未だにちょうどいいPCデバイスがない。インターフェース上の制限と、開発環境の閉鎖性を我慢してiOSを使うか、Homebrew向けのニッチなガジェットを使うか、比較的割高でユーザが限られるUMPCかという選択肢になる。

iOSは、ゲームデバイスとしての稼働時間が一番多いらしいが、フリーゲームで名作ってなにがあっただろうか。うまくフリー制作者の需要を満たせていない感じがする。

以下のような点が改善すれば…

  • 制作環境の閉鎖性!
  • 物理キーを備える、もしくは十分に共通認識化されたタッチデバイス上の代替インターフェース
  • App Store以外の配布プラットフォーム

個人的には、タッチデバイスって雰囲気を損なってると思う。ボタンの存在を意識しないのが、シームレスな体験に必要不可欠だと思うけれど、「タッチをする」「ジェスチャ」というアクションは、意識的に行わないといけない印象がある。精度や可視性の問題があり、対象物へのタッチが失敗することが多いからだと思うけれど。

あと、指先が見えてるのって、どうしても現実の枠組みが見えて、遊ばされてる感が出てしまうような。慣れていないせいだろうか。没入できない。

以下のようなことを考えている。

  • HTML5による、フルスクリーンのゲームプラットフォーム
  • 入力は下部に3つぐらいのボタンに制限する。対象物へのタッチは行わない。UIを目視せずに操作できるようにする。

impactというゲームエンジンがいいかもしれない。

http://impactjs.com/

人文研究について

臨床心理なんかは、まず「見立て」て、結果を評価分析する、という過程を経る。

定量化出来る学問は、予期しない結果が出たりして、そこから技術的に発展していく訳だけど、人文は「見立て」た以外の結果が出ることってあんまり無くて、そこがどうにも創作の目的に合致しない気がしている。(質問紙は量的だろ、という話もあるかも知れないけど、その上に乗るバイアスをどうするよ、といつも思うし、二次的な効果しか見えないので、結論はかなりバイアスがかかったものになると思ってる)

あくまで自分は職人であって、あまり哲学や研究に深入りするより、手持ちのイメージから作った方が早いしそこからヒントも出てくるんだと思う。周りの芸術家志望の学生に対して「作った方が早いのになあ」的なことを思ってたけど、まさにそのどん詰まりに居る気がする。

今は、土台を築くのが大事な気がしている。Soupラインでしたことを洗練していくべきかもしれない。

Sense of Place(場所の感覚)

まとまってないことを書く。

「場所感」に関するツイートを連続して行ってきたけど、ちゃんと論文を調べたことはなかったので、さわりだけざっと調べた。 どうも「Sense of Place」と呼ばれる分野が、自分の興味と近そう。地理学経由で導入された概念らしい。

http://envstudies.brown.edu/oldsite/Thesis/2001/james/senseofplace.html

「Sense of Place」を何と訳すのが適切なのか?「帰属意識」とかが近いような気もするし、もっと広い範囲に言及しているような気もする。

では,何故彼等・彼女たちは地域とか空間といったそれまで用いられた用語ではなくて,わざわざ場所placeという語を概念として使ったのでしょうか.これについてはよく知られているように,ヒューマニスト達の主張というものが,人間存在の実存的側面を研究対象にすること,そして,人間が生活空間の中で主体的に生きている現象的な感覚世界,それを理解することが必要なのだというものであったからです.

http://envstudies.brown.edu/oldsite/Thesis/2001/james/senseofplace.html

んで、こういう話でたまに出てくるのが「祖国喪失(エグザイル)」で、ユダヤ人なんかが語られる文脈だと思う。

地域愛着が地域への協力行動に及ぼす影響に関する研究

http://trans.kuciv.kyoto-u.ac.jp/tba/fujii/pdf%20files/area_cooperative.pdf

「地域愛着」なんかも、実際的な分野では研究されていそうな気もする。

家に置いてある心理学事典で調べたくなってくるね。英語版WikipediaにはSense of Placeの記事もあるけど、まだ訳せていない。

いかにも人文って感じだなー。

したいことはあるか

MMLに可能性は感じるけど、大抵のことはkeimさんがやっちゃってるんだよなー。 さして自分がすべきことは無いような気がする。

クジラ飛行机さんとか梅本竜さんとかが中心になってMML会議をやろうという話があったけれど、 結局お流れになってしまった。 あれが実現していたら、今頃どうなっていただろうか。

自分から何か変えようと思ったのは、 フリーゲームシーンがつまらないと思ったその時ぐらいかもしれない。 何にせよ、世の中を変えたい、というのは、一途さが必要なんだな。

自分はロジックじゃなく、感性で動く所があるけど、 そこをうまく使って行けたらいいのかもしれない。 仲間とミッションを定義出来るようになるといいなぁ。

WebデザインのよくあるUI

今からするとこれ標準でいいの、と思ったものについて

リンク色のデフォルトが青

青って白地ぐらいしか合わなくないかと思う。少なくとも原色の青は悪目立ちするからなしだと思った。技術者ってホント青が好きだよな-。GoogleにしろMSにしろSunにしろ、なんでもかんでも青すぎ。

メニューバー

WPのデフォルトテンプレートになっている、Twenty Ten(Elevenもか)などに採用されている、ドロップダウン形式のメニューバー。黒帯にしているとこが多い。Googleも最近黒帯にしたね。

これそのまま使うのってデザイン的におざなり過ぎない?企業ページで使われていたりすると、なんかローコスト感を感じてしまう。

デザインに黒帯入れるのも、もっと慎重になった方がいいような気がする。横リストは視認性が低いから、黒くして目立たせているのか?

メニューが二つ以上あるページに導入されてることも多いが、これも気に入らない。特にそれぞれに階層があったりすると混乱する。

罫線を多用したグリッドデザイン

画面中箱だらけなのは見た目が良くないと思う。そもそも人間の目はグルーピングの機能ついてるんだから、雑誌のレイアウト見習って、ボックスは最小限に抑えた方がいいような気がする。

TODOの考え方

別にライフハックブログじゃないので、これ書いても見せる人居ないんだが、後の自分に向けて、今どういう方法取ってるかをメモ。

TODOの基本的な考え方だけど、「一日にやる量を減らす」に尽きると思った。具体的には一日2~3個のことしかしない。2~3個出来たら遊ぶなり寝るなりしてしまうのがよい。思いつきをそのまま書いてしまうと、結局やることを増やしてストレスを溜めてしまう。あれもこれも出来ないしなーと思っておくと、数を減らすことを意識するようになる。

作業の優先順位を書けるTODOがあるが、順位を付けるというのは結構頭を使う。そのうち面倒になって放置状態になる。

ものぐさ的には、TODOリストを二つに分けるといいと思った。

1.おつかいリスト

「牛乳を買う」「郵便物を出す」など、事情があって今できないことを書く。すぐ出来ることはそもそも書かない(一時的なメモはBoogie Boardかノートに書くとゴミが出なくてよい)

形式としては、プレーンテキストでいいと思う。優先順位は不要。GoogleのTODOも出来がよい。

これは定時にメール配信するようなシステムを組んでいたんだけど、使わなくなった。未処理のTODOが貯まっていき、見もしなくなったため。

2.1ヶ月~1年ぐらいの長期リスト

「ソフトウェアを作る」「サービスを作る」など。

これはマインドマップ形式で、紙に書く。 マインドマップの「根」に当たる部分に、最終的に作る「プロダクト」を書く。 その「プロダクト」を作るに当たって、必要なことを「枝」「葉」として展開していく。

この書き方だと「マイルストーン(小さな達成目標)」が何になるのかを考えながら描くことが出来るし、あとで把握もしやすい。 実現方法なんていくらでもあるので、枝葉はあんまり重要じゃなくて、どんなマイルストーンがあるのかを把握するのが、無駄を少なくするコツだと思った。マイルストーン自体が不要になる場合も、よくあるし(既存サービスが見つかった、誰かに代行してもらえる、等)。

マイクロコンテンツに全て吸い取られて行く

HTML5のドット絵ツールを作っている。リリースすればそこそこの利用は見込めるんじゃないかと考えてる。

ついでにすたどんたんのファミコン音色版に統合して、ファミコン風コンテンツのポータルに出来るんじゃないかと考えたけど、 出来ると言うだけで、何故それをしたいのかというビジョンがなかった。

ビジョンはある。一言でいうなら、マイクロコンテンツが世界を変えかねない。

一つ一つのコンテンツの規模が小さくなったおかげで、細切れになったノウハウがすぐ見つかり、 入門者がそれを真似し、テストしながら上達していく。 そんな時代が来るんじゃないのか。Twitterで小説を書くだとか、コピーライティングをしているような 流れを見ているとそう感じる。

んで、これが楽しい世界かっていうと全然そうでもないと思う。 なんでかは分からないけど、生成物の価値が低いような気がしてしまう。

いつでもシーンの中心に来るのは、それに数万時間を費やした人間で、 周囲はオフラインで感じられる熱に引っ張られていくのではないだろうか。

なんか、そういう熱がぜんぜんない。

鬱屈した感情がTwitterに吸い取られて行き、どれくらい同意出来るか、という観点から 評価の対象になる。 なんか一昔前もそういう情報の価値の低いブログがたんまりあったねー。

そこに見えてしまうフレームワークに、冷める。

フレームワークのない生の創作の感情に出会いたい。

創作の価値を信じられるか

最近、TEDのサイモン シネックのプレゼンに影響されてしまっている所がある。

「自分は何の価値を信じるか」から説明する、というような話だった。

まあそれも善し悪しだなあ。何でもやるだけやってみればいいんだけれど。 でも、素で仕事が出来ないタイプだから、大きなことを起こす際に、協力関係の築き方がわからん。

それこそ、「こういう世界を実現したい」という思いを見せられればいいんだろうか。 自分が実現したい世界ってなんだろうか。

正直、最近創作の力を信じれていない。

創作を逃げ場にしているように見える人たちが居て、その人達に全然共感出来なくなっている。 最近、「創作は消費活動だよな」的なコメントを見て、思いっきり同意してしまった。

それだけ、創作活動が身近になっているという証左でもあるけど。 創作偉いみたいな風潮なんとかならんのかよ。創作なんて、翻案に毛が生えたようなもんだから。

創作そのものの楽しさに集中して、創作を行っている人の比率下がってるんじゃないか。 自分が考える創作の楽しさって何だったんだろう。 それを取り戻すには、何をすればいいんだろう。

なんか書いててシルバーガンじみてきたな。 あれも最初は同意しがたい部分が多かったけど、気持ちはわかるな。

ただ、周囲よりも変わらなければいけないのは、自分自身なんだろう。いつだって出る答えはそういうことだ。