月別アーカイブ: 2011年11月

ストックは人格表現ではない

はてなブログにおいて「フロー」と「ストック」という役割が提唱されていたけれど、ストックは人格表現にはならないと思う。確かに記憶は人格を形成するものではあるけれど、ストックの時点では生のデータなので、人に見せるようなものではない。

断片的な情報の方が、その人を理解するのに役立つ、という場合が多いと思う。その人の考えを読むよりも、その人のエピソードを読んだ方が、あるいは作品を見た方が、その人がどんな人であるのか想像が働きやすい。

断片的な情報を与えられた方が、閲覧者はその人の人格をありありと想像することができる。語りすぎれば、閲覧者の頭にないことが多くなる。

Wikipediaでの人物紹介を見て、一番その人となりが分かりやすいのは、エピソードだ(Wikipediaではエピソードの羅列は削除・編集対象となるようだが)。何かの出来事に対してどう行動したか、なにを言ったかが重要なんであって、その人の頭の中で何が起こっているかではない。

ブログは文章での自己表現なので、一冊の本に近いのだろう。それは人格を理解してもらうには、語りすぎに近い。人格を表現するなら、エピソードと、パッケージされたコンテンツだ。

ブログの文章だけで人を想像すると、ギャップを生むことになってしまうだろう。

動画で学習(自分編)

先のエントリで書いたこと、自分自身ではどうしているかというと、やっぱりyoutubeでチュートリアル動画を見ることが多い。動いているところを見れば勘違いしようがないし、ソフトウェアのバージョン違いで迷うことも少ないし。

問題は文字が小さいくらいか。

しかし動画を見るのって面倒なんである。見始めが一番面倒。いつも思うけど、目次と秒数が書いてあれば、見る人は時間を浪費せずにすむし、そのことにより安心して見れるんだが…

今度自分でやるときやってみよう。動画ってあんまり見てもらえない気もするけど…

創作の高速道路

大抵の創作には先人が居るのであって、新人にまずその成果を知ってもらい、早い内に先人と同等の戦線に入ってもらうのがまあ色々ベストだ。(研究ではこういうこと言われるけど、創作ではそもそものスキル差もあるためこうはいかないが。でも知識共有は軽視されてると思う)

創作の基礎を素早く習得させるためにはどうしたらいいか。例えばイラストとか、ドット絵とか、ゲーム制作の基礎を学べるサイトを考える。

これなんかいいような気がする。ちょっと自分でもやってみたい。

ワコムのeラーニングサイト

Wikiみたいなまとめではなく、基礎の素早い習得を目的にしたサイトがあればいいなあと思っている。基本は、お手本とお手本の基本構造を示して、なぞってもらえばいいのかなあと思っている。

人により覚え方に差がある点は考慮すべきかな。以下の二タイプがいると思う。

  • 試行錯誤で覚えるタイプ(自分はこれ)
  • 理屈や手順から覚えるタイプ(周囲に結構多い)

詳細が先か後かって感じか。その他にこんな感じの人は出てくるだろう。

  • 図で見ないと分からないパターン
  • 自分で調べずにすぐ人に聞くパターン
  • 逆に、全て自分で調べようとして詰まるパターン
  • 分からなくなると諦めるパターン

この辺のタイプは、なるべく図を多くして、FAQを用意してあげることで解決出来るかも知れない。図よりも動画の方がいいかもしれないが。

ボタンは甘え

ModelessAndModal

とてもいいコラム。Blogってこういう使い方もあったんだなあ、と思う。

Buttonの項で、「ボタンは、道具としての機械が複雑化してきた過程において、直接操作の実現を放棄した挫折のユーザーインターフェースなのです。」と語っている。まさにボタンで一杯のUI改善案を出そうとしていた所だったのでぎくっとした。

ボタンというのはバッチ処理であって、ユーザのフローを中断させてしまう、と書いてある。ボタンとヘルプを配置しようと考えていたけれど、よく考えてみれば、編集画面に移った時点で、何が編集できるかはすぐに分かるはずだ。

また、複数の関連するリソースを編集する場合、いちいちトップページに戻るよりは、そのまま関連するリソースの作成に飛びたいはずだ。

UIって、作った側もUIの不条理に気付かない所が恐ろしい。UIが良くなければそのプロダクトは使えないし、使えるUIは長く考えていれば思いつくというものでもない。全く持って見栄えとかそういう問題ではない。

空っぽのインタラクション

インタラクティブアートって、結局手法以上の何者にもなれなかったなぁ、ということを考えていた。

インタラクティブがもてはやされた時期があって、業界の人がそろいも揃って全然面白くないインタラクティブアートを量産していたことがあった。手法としてインタラクティブアートなんだけれど、特に何も実現していない、デジタルの枠組みでビジュアライズしましたよ、というようなのが大量にあった。

自分はその頃学生で、インタラクティブアートで食べていけないかなあ、ということを薄ぼんやりと思っていたのだけれど、あんまりアートじゃなかったのもあって、実際に受験とか就活とかでは売りには出来なかった。

インタラクティブアートは、インタラクティブアートやってる人の中で消費していかれる感があって、まあ長続きしないんだろうなという所は心の隅にあった。アート愛好家の中にインタラクティブアートを居間に飾りたいという人は居ないだろうし、かといって一般に幅広く流通するものでもない。技術畑から生まれて技術畑の土に帰っていくような、そんな技術デモ的な作品ばかり生まれては消えていったように思える。

特に何が出来る訳でも無く、インタラクションのみ存在するのがいけないのだと思う。坂本龍一のライブやらでWebからライブに拍手を送信できるようなのや、演奏内容をビジュアライズするようなのがあったけれど、inの大きさの割にoutがpoorだった。観客の反応がデザイナーの意図したものに作り替えられていただけだ。出来ることが増えたわけでもなく、単にインターフェースのみ増えた。

「ソーシャル」っていう言葉も、インタラクションやリアルタイム性を含むものだけど、それによって人とつながることが出来る。単なる「インタラクティブ」とは全く広がり方が違う。

それによって何か新しいことが出来る、ということが重要なんであって、スイッチを押して干渉出来ることは、僕らにとってさほど関心のある事柄ではない。

これから作るものは、スイッチを押したり出来るようなものではなく、環境を作ることをイメージしないといけないと考えている。それがコミュニティなのか、ゲームなのか、ツールなのか分からないけれど、minecraftのような、MMDのような、誰かの可能性を広げてあげられるような環境が必要だ。(とかいうと、Google Waveやらなにやらの爆死を思い出して、そうも言い切れない気がしてくるのだが…。)

そもそもWiki記法は必要なのか?

Wikiでは、タイトルを書く場合、行頭に「!」などのような記号を置く必要があるわけだ。

でも、文のブロックが一行だったらそれをタイトルにしちゃえばよくないか?複数行になったなら、それを本文にすればいい。本文を一行で書きたいんだったら、「~文字以下はタイトル、それ以上は本文」という形にしなければいけないかもしれないが。

最初に書いた行はH1にすればいいし、それ以降はH2にすればいいし、H3が必要なら別ページを作ってそこに書け、というぐらい割り切ったCMSがあってもいいんではないか。

今MarkDownを使っているが、MarkDownは、一般的なWiki記法に比べて、テキスト面の可読性を確保させられる傾向にある。リストにマージンを入れるとか、H1は下部に罫線でマージンを入れさせられたりするけれど、これらは可読性に寄与している。多分Wiki使いからは、タイプ数の面で余計に見えるんだろうけど、従ってさえいれば結構綺麗にフォーマットされた文書が出来上がっている。HTML出力とテキストの見た目が近いのも特徴。

Wikiは「アノテーションです!」感が強すぎて、多分これは人間が見るモノではないんだろうなと思わされる。コマンド定義に方言があるのも、記号と機能の対応に全然必然性がないからだろうね。もっと文法覚えなくていいシステムを作らないと、今後読まれなくなるフォーマットでデータを作ることになる。

書いている最中に見やすく整形されているのは重要だと思う。タイプしている時間は確かに長いけど、目でさっき書いた文章を読み返している時間もバカには出来ないでしょう。読み直しの最中にアイデアが派生することもあるのだから、「書いている時に既に見やすい」のは大事なんじゃないのか。

脱線するけれど、LIFE Vincentノートが好きな理由がはっきりした。あの行間と文字の大きさが見やすいからだ。

「記憶に残る」作品を作る為の努力

ICOインタビューを読んでの感想。

http://www.4gamer.net/games/120/G012071/20111020037/index_2.html

上田氏:  ですね。  まぁでも,今はそういうものを作っていかないといけない,と思いますね。それは,別にビデオゲームに限りませんし,もっと言うと娯楽に限った話でもないですね。商売の本質として,お客様に後悔させちゃいけないと思うんです。  その瞬間はいいかもしれませんが,何年後かに「なんであんなもの買ったんだろう」とか「なんであんなものに時間を使ってしまったんだろう」とか思わせてはいけないと思います。少なくともそれに向かって努力はしていきたいんです。

4Gamer:  いえ(笑),上田さんを前にしているから言っているわけではなく,選ばれたものを眺めてみると,「強い記憶」にまつわるものだけなんですよね。また遊ぶから,とかそういう話ではなくて(笑)。ちゃんと整合性が取れているんです。

「強い記憶に残る」作品は、そうでないものと質的に異なると思っている。それは、作品が「消費財」ではなく、血肉になる、ということだから。

「どのように記憶に残すか」という戦略がもっとあっていいと考えている。利益を出す、という点からは、記憶に残るかどうかって重要度が低いんだと思うけれど、長期的には「後悔させない作品を作る」ことが作り手にとってもプラスになるんだと思う。

というか、作り手にとってその手の努力がプラスになるような環境を作っていかないといけない。

Inklingアイデア

Inklingが発売された。とても欲しいのだけれど、いかんせん紙を使ってしまうので、スキャナに対しての優位性が分からん感じ。どうにかセーブ・ロードをアナログベースで行えないか考えてみた。

  • Inklingにカメラを搭載、紙の端にバーコードを印刷しておき、クリップしたときに読み取る。

バーコードにより、同じ紙であると判定し、次に挟むときには続きを書くことができる。 (バーコードは専用アプリで印刷可能)

あと、レイヤの活用方法を考える。これはまあまあいいアイディアじゃないかと思う。

  • 専用ペンを4色ボールペンにする。

ボールペンを切り替えた時に自動的にレイヤを作成し、切り替える。 (もしくは、芯の付け替えを判定し、自動的に新規レイヤを作成する。芯はシャープペンや別の薄い色を用意し、下書きと清書を区別出来るようにする。)