iPadをデジタルサイネージにしようとしたこと

かとう君と話していたときに、スクリーンエイジ、という言葉が出てきた。スクリーンを見て育った世代という意味らしい。

駅構内のデジタルサイネージ、接触時間は1.5秒

デジタルサイネージとは、要は電子ポスターのこと。1.5秒程度しかメッセージを伝えられないんでは、現状効果が薄いって事だと思う。秋葉原駅とかにもたくさんあるけど、それらのデジタルサイネージを凝視している人を見たことがない。

そもそも、スクリーンって公共向けの物体なのか?

iPadは個人向けとしてはでかすぎる。たくさんの人に見せるには小さい。人に手渡してWebページや写真を見せるのには便利だ。画面を回転させて見せられるし、使い方も分かりやすい。個人向けなんだか公共向けなんだか分からん物体は面白いと思い、iPadを買うことにした。これが半年くらい前の話。

最初は16次元レコードの曲を詰め込んで、カフェに置いて自由に触ってもらう、という使い方を考えていた。16次元レコード専用の、インタラクティブなデジタルサイネージ(でいいのか?)にしたかったのだ。しかし、そういう使い方をしてもらおうとしても、遠慮されることが多かった。

第一の関門は、おそらく衛生的な問題。自分の物ではないものを、ぺたぺた触るというのは気が引ける行為らしい。(指紋つきまくってるし清潔感はない)

第二の関門は、プライベートを見られることへの違和感。何かを見ている自分を観察されるというのは、気持ちが悪いものだ。これは電車内でiPadを使っているときに実感する。

やっぱり、スクリーンって個人向けの物体なんじゃないのか、と強く思う。

個人向けってことは、気持ち悪い使い方が出来るってことだ。

どう使うか、と考えたときに、「顔として使う」ということを考え付いた。顔はいろんな人に見られるものだけれども、隠すものでもある。スクリーンと立ち位置似てないだろうか。

この辺は、何かやるかもしれないし、やらないかもしれない。やらない公算が強いな。iPad重いし。どうにかならんかこれ…