マイクロコンテンツに全て吸い取られて行く

HTML5のドット絵ツールを作っている。リリースすればそこそこの利用は見込めるんじゃないかと考えてる。

ついでにすたどんたんのファミコン音色版に統合して、ファミコン風コンテンツのポータルに出来るんじゃないかと考えたけど、 出来ると言うだけで、何故それをしたいのかというビジョンがなかった。

ビジョンはある。一言でいうなら、マイクロコンテンツが世界を変えかねない。

一つ一つのコンテンツの規模が小さくなったおかげで、細切れになったノウハウがすぐ見つかり、 入門者がそれを真似し、テストしながら上達していく。 そんな時代が来るんじゃないのか。Twitterで小説を書くだとか、コピーライティングをしているような 流れを見ているとそう感じる。

んで、これが楽しい世界かっていうと全然そうでもないと思う。 なんでかは分からないけど、生成物の価値が低いような気がしてしまう。

いつでもシーンの中心に来るのは、それに数万時間を費やした人間で、 周囲はオフラインで感じられる熱に引っ張られていくのではないだろうか。

なんか、そういう熱がぜんぜんない。

鬱屈した感情がTwitterに吸い取られて行き、どれくらい同意出来るか、という観点から 評価の対象になる。 なんか一昔前もそういう情報の価値の低いブログがたんまりあったねー。

そこに見えてしまうフレームワークに、冷める。

フレームワークのない生の創作の感情に出会いたい。