ストックは人格表現ではない

はてなブログにおいて「フロー」と「ストック」という役割が提唱されていたけれど、ストックは人格表現にはならないと思う。確かに記憶は人格を形成するものではあるけれど、ストックの時点では生のデータなので、人に見せるようなものではない。

断片的な情報の方が、その人を理解するのに役立つ、という場合が多いと思う。その人の考えを読むよりも、その人のエピソードを読んだ方が、あるいは作品を見た方が、その人がどんな人であるのか想像が働きやすい。

断片的な情報を与えられた方が、閲覧者はその人の人格をありありと想像することができる。語りすぎれば、閲覧者の頭にないことが多くなる。

Wikipediaでの人物紹介を見て、一番その人となりが分かりやすいのは、エピソードだ(Wikipediaではエピソードの羅列は削除・編集対象となるようだが)。何かの出来事に対してどう行動したか、なにを言ったかが重要なんであって、その人の頭の中で何が起こっているかではない。

ブログは文章での自己表現なので、一冊の本に近いのだろう。それは人格を理解してもらうには、語りすぎに近い。人格を表現するなら、エピソードと、パッケージされたコンテンツだ。

ブログの文章だけで人を想像すると、ギャップを生むことになってしまうだろう。