ソーシャルと祭り

http://markethack.net/archives/51790322.html

アプリインターネットだかどうだかは知らん(アプリケーションはコンテンツの閲覧に別に便利というわけではないので)が、ソーシャルにかける時間が足らないよ、という意見はかなり同意を集めている。大体生産的なソーシャルって何?という感じもしなくもない。

ソーシャルはノイジーすぎる。

Recent Events and my non-reaction

Flash用コンポーネントライブラリ、MinimalCompsの人が書いた記事。ちょっと知らない表現が多いので正確な意味は取れてないけど、おおむねこんな内容だろうか。

Flashモバイル開発中止の一件で、革命でも起こったかのような『Flash is dead』のお祭り騒ぎだ。私の耳とっては全部、泣き言と雑音にしか聞こえない。僕の友達は『Twitterはろくでなしになるための道具だ』と言い、もう一人はこう言った。

『きみは洞察的ではない。知的でもない。芸術家でもない。批評家でもない。詩人でもない。ただインターネットに接続できるだけだ。』

元々おとなしい自分でさえ、Twitterによって大きな声を手に入れてしまい、不注意にもその大声を使ってきてしまった。時間が経つにつれて、ぱっと思いついたことや、憤りをブログに投稿するようなことは控えるようにしてきている。元の自分が戻ってきたことが今は嬉しい。直近の出来事を聞いていないだけで世界はバラバラになったりはしないんだ。

とにかく、僕はTwitterやSNSを一時的に休んでいる。どれもこれも黒板をひっかくかのようだ。もっとノイズや最近の技術的スキャンダルへの意見じゃなく、ちょっとした役に立つ情報を書くようにしようと考えている。

今のTwitterは延々と続く宴会みたいなもので、いつかはみんな疲れてしまう運命にある。時間が足らないだけじゃなく、精神的な体力も足らないような気がしてくる。

ハレとケ、という概念についてしばらく勉強していて、ちょっと考えているのだけれど、今は「静かな物語的世界」が非日常の役割を果たす気がしている。日常はお祭り騒ぎで、夜になれば孤独感と虚脱感が残る。たまった鬱憤を攻撃と自己破壊に向けるよりは、妄想に。